東日本大震災情報

被災地からの報告 4  「野田村に救援物資を届けました」

 本日、津波で唯一の診療所が流された野田村の押川先生のところに行ってきました。
http://www.iwate-np.co.jp/hisaichi/h201103/h1103203.html

 明日から、町役場隣の野田村総合センター内で仮設の「おしかわ内科クリニック」がスタートします。久慈市医師会長の鳥谷先生も応援に駆け付けていました。日医から緊急医薬品も届いていましたが、とりあえず必要と思われる、医薬品、医療機材、パルスオキシメーター、血圧計、体重計、保団連の資料と青本、今日の治療指針、「医療機関での受診・窓口負担について」、杖、傘を用意しました。電話はドコモは使えましたが使えない会社もありまだ不安定とのことで衛星携帯電話も置いてきました。

 リストを見ていただき、「必要なものを置いていきます」とお話ししたところ、「すべて必要なもの」と大変喜んでいただきました。皆さまからのご支援ありがとうございました。

 その後、小田 村長にもお会いし、お忙しい中10分ほどお話を伺いました。役場の壁には36人の死亡確認した人の名前、行方不明者の名前があり、葬儀の列にも出会いました。非難所には約400名が避難していますが、以下は村長のお話です。

  • 避難所の人々に疲れがったまってきている。
  • プライバシーが保たれない。
  • 避難所で子供がうるさくするので、親が周りに気を使い、避難所にいにくくなっている。
  • 行政としては仮設ができるまで、一人でも二人でも一時避難してもらいたいと考えている。
  • 学校が始まるので、離れたくないという人もいる。
  • 岩手県も移送のバスも出すと言っているが、岩手県内の支援施設行ってみようと手を挙げる人はいない。
  • 仮設住宅を作るが、村民は1戸建てで暮らしてきた人ななのでプライバシーも100%保てない。仮設に入った人も、今後のことを考えると休息が必要だ。
  • 村長自身も1週間ぶりで入浴して生き返った。
  • 2,3日でも温泉でリフレッシュしてもらいたい。
  • 今後、「温泉に休息 プロジェクト」の申し出があれば、村のチャンネルを通じて避難所の皆さんに案内していきたい。

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 帰り道、青森県の温泉で受け入れを表明している浅虫温泉組合の組合長の旅館を、急きょ訪問しました。

 浅虫温泉を選んでもらうために、浅虫温泉の紹介ビデオはないかと聞いたところ、明日作るようにその場で組合事務局に指示しました。

 温泉でゆっくり休息してもらおうと思っても、被災者の方は、インターネットも見れませんので温泉の情報が届いていません。

 子供たちが来るなら、保育士さんのボランティア、小中学生には話を聞いてくれたり勉強を教えるボランティア、心をいやしてくれる絵や、ミュージシャンボランティアがいてもいいのかなと、今日参加したメンバーで話していました。
 「動こう!津軽」という集まりにいろいろな職種の人が30人ほど集まりました。まだ方向性が決まっていませんが、今日の経験をお話ししながら、次の方向性を考えてみた いと思います。

(報告 大竹進)

 

写真で見る岩手県北部 2  「田野畑村」

田野畑村の港付近です。ワンボックスが私たちの支援車です。
高台に少し家が残っていますが、その左下が歯科医院のあった所です。
行ってみましたが、ユニット等は跡形もなくありませんでした。
残った家の人に当時の事を聞いたら、「徐々に波が来たのではなく、一気に10M級の波が押し寄せた、まるで映画のワンシーンと同じ」ということでした。 (青森・中村)

※写真をクリックすると大きな画像が表示されます

 

被災地からの報告 3  「第二次支援」

3/23(水)、先日の久慈、野田村からさらに南下し、田野畑村、宮古・田老地域へ支援物資を届けるため本会 成田副会長(歯科医師)、中村参与、藤林局員が新たに登録した緊急車両で向かいました。以下報告です。

 3/23日(水)、ガーゼ、脱脂綿、歯ブラシ、マスク、感染予防品等を積んで、岩手県北の医療機関と避難所を田野畑村と宮古市の田老地区に入りました。
 田野畑村の歯科医院1件は津波で跡形もありませんでした。幸い、先生及びご家族は無事で避難所におられ、元気そうでした。再建は「見通しが立たない」と言っていました。同地区の国保診療所は少し高台に位置していたので難は免れ、診療していました。そこの歯科医勤務医と30分位話を出来ました。歯科材料等は足りているが、歯科技工物が物流の関係で全く出せないし、来ないと言っていました。昨日まで電話が全く使えず情報がなかったとも言っていました。やっと衛星携帯電話が村から支給されたそうです。
 同村の漁港沿岸は全滅です。
 田老町は全滅です。残っているのは少し高台にある小学校、中学校くらいです。この地区は、何ら報道されていません。歯科医院1件流失、国保診療所跡はあるものの壊滅的被害で当然診療は出来ません。国保診療所の院長は高台にあるグリーピア田老と宮古北高校で診療にあたられ、加えて避難所8カ所も巡回し、面会出来ませんでしたが、そこで働く看護師さんから話を聞くことが出来ました。
 「今日は国境なき医師団が入って診療している。院長も被災し、他のスタッフ全員も被災している。このような状況で人手が足りない。医師も必要だが、看護師等の医療スタッフの援助も継続的に必要」とのことでした。食品等のものは入っているが、医療材料等は幾らあっても良い。支援物資は本当に助かると、持って行った物資の殆どをここにおいてきました。名刺交換して今後の支援等について連絡取り合いましょうと言って返ってきました。
医師が足りていると言っていますが、現場をマスコミで報道されている被災地は足りているかも知れませんが、他の地区では全く足りていません。当然、医療スタッフもです。
 今、頑張っている医師、歯科医師、医療スタッフも、患者さん・住民を診療している他に、殆ど被災者です。

(報告 中村寛二)

 

募金並びに本会募金活動への参加のお願い

 詳細ページ

 詳細(PDF 68KB)

 掲示ポスター(PDF 58KB)

 

被災地からの報告 2

岩手日報3月20日
  野田村唯一の医師押川公裕さん(61)が、村総合運動公園野球場の救護所で診療を続けている。自らも被災したが、村内の各避難所も巡回し、住民に安心感が広がっている。
 大津波が押し寄せた11日。押川さんの診療所兼住家は津波で流され、患者のカルテ4千枚以上が流失した。押川さんは患者を避難させ、自身も久慈工高に逃げた。
 野田小に重傷者がいたが薬も点滴もなく、救急車が来るまで待つことしかできなかった。「無力感でいっぱいだった」と唇をかむ。
 震災後数日間、家族を県外に避難させるために村を離れ、17日から診療を再開。各避難所も回る。十分な診察はできていないが、住民に「悪いところはないか」と声を掛け、相談にも親身に応じている。
 多くの住民が救護所を訪れ、長女を診てもらった同村野田の飲食店店員次嘉(しか)ひろみさん(43)は「病院がなくなったのに村民のために診療してくれ、大変ありがたい。先生がいるだけで安心感がある」とほっとした表情を見せた。
 押川医師は「(周辺市村から)薬を集めて持ってきてもらい、助かっている。落ち着いたらまた村内で診療所を始めたい」と誓う。

岩手日報WebNewsから転載  http://www.iwate-np.co.jp/

 

被災地からの報告 1  「被災地へ第一次救援物資を届けました」

野田村の行政の方とお会いしてきましたが、TVが来ずこの地域の現状があまり報道されないと怒っておりました。 現地は悲惨な状態でした。添付の写真をご覧下さい。(報告 新谷進一 本会主幹)

 

久慈市及び種市市の医療機関では大きな被害はないが、医薬品等の不足は本県と同様に流通の関係で不足している。
久慈市以南の野田村の状況は悲惨な状況である。
岩手協会の会員の押川先生を訪問したが、津波で診療所と自宅が流された。
幸いにも院長先生、ご家族、そして従業員、当日の患者さんも皆無事とのこと。
院長は奈良県から入られた赤十字の職員と共に診療にあたられていた。
野田村に医科の先生は押川先生お一人であり大変な状況だが頑張らないといけない。
地域のために早急に再開したいと話された。
同村にある村田歯科医院は少しの被害で済んでいるようだ。
今回、野田村に入って、支援の在り方を再考しなしといけないと感じ、本会としてそのほかの被災地も含め早急に第二次支援を検討する。
(報告 中村 寛二 本会参与)

 

写真で見る岩手県北部 1 「野田村周辺」

 ※写真をクリックすると大きな画像が表示されます

12.流された船2

11.流された船

10.二階部分が辛うじて残存

9.店先は土砂

8.協同組合からの確保物資と緊急車両

7.野田村役場前

6.野田村役場周辺

5.野田村繁華街

4.野田村内

3.日赤職員と中村参与

2.線路が外れ海へ

1.住宅が跡形もない

 

 




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